日本の80年前の地理の教科書で「日本領土になっている台湾」を見た台湾人の反応

日本のTwitterで話題になっていた80年前の地理の教科書の画像が台湾でも紹介されていました。80年前に日本の領土だった台湾を見た台湾人の反応をまとめました。
日本のネット民が発見《80年前に使われていた地理の教科書》当時の台湾は、北から南まで水田だらけだったようです…
皆さんは、いま自分が住んでいる場所が昔どういう場所だったか、どのような人が住んでいたかご存知ですか? 最近ある日本のネット民が見つけ出した80年前の地理の教科書には、台湾に関する資料も掲載されていたのですが、その資料から、昔の台湾は北から南まで水田が広がっていた事、人口密度も現在の北部集中型でない事が分かりました! もしかすると、いま住んでいるマンションも、かつて農村だった場所の上に建てられたものかもしれませんね…

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80年前実際に日本で使用されていた地理の教科書
地理学者の田中啓爾さんは、生前、地理の教科書や地図帳の編集に携わっていました。彼が昭和13年(1938年)に編集した教科書『外国地理』の内容と現在の様子の比較が「非常に興味深い」と日本のネットで話題になっています。
「昭和13年の地理教科書に載ってた土地利用区分図」
昭和13年の地理教科書にのってた土地利用区分図
いろいろ思うところはあるけど、文字に起こすのめんどくさいから画像で載せておきます pic.twitter.com/ijldjUyIDI— フンボルト (@hongji86563161) 2018年5月30日
『外国地理』には、日本土地分類(土地区分図)として台湾や朝鮮半島の資料も載っています。この区分図から分かるように、当時の台湾は灰色の「森林」が大半を占めており、その他には緑色の「水田」や黄色の「畑・陸田」、紫色の「果樹園」も多かったようです!
昔の台湾には、こんなにたくさん水田があったのですね!!!
また、この教科書には土地区分図だけでなく人口密度図もありました…
同じ教科書に掲載されていた「日本人口密度図」
この図から、80年前の台湾の人口密度を知ることができます…
現在とは異なり、人口が北部に集中していなかったのですね!
(⊙д⊙)この教科書に他にどのような事が書かれているのか、とても興味があります!
台湾人の反応
- ライターさんはもっと歴史の勉強を頑張らないといけないね。昔、台湾の首都は台中で、そこから台南、台北に変わっていった。だから人口密度も今とは全然違ったってこと。
- ほとんどが灰色…そうだね、まぁ伐採後日本に送られたものも多いけどね。
- 昔、水田が多かったっていうのは本当。
- くだらないって思うのは私だけ…?
- 基隆、何も無いじゃん!
- 昔の台湾はきっと素敵だったろうね
- お米を作らないで、何食べるっていうの?
- 信じられないかもしれないけど、昔は日本の国会議事堂の前にも水田があったんだって。
- 数日すればまた新しい情報が出てくるよ…
「1,000年前、台湾はうっそうとした森でした」って… - これ、前に知り合いの家で見かけた本と似てる~
- 戦争前、何より重要な事は食糧の確保。工場があれば大量生産もできるんだけど、ただ莫大なコストがかかるし、工場を開けるほどの十分な資金を持った人はごく僅かだった。
- 北には工場もあるし農地もある。台湾には農地しかない。
- 個人的に昔の人口密度の方がちょうどいいと思う。当時の台湾がどんなだったか見てみたいよ。
- 日本政府の政策に注目すれば、重要な物は全部中央に留めているのが分かると思う。
原住民(北海道・沖縄・台湾)には、本当に基本的なものだけ施してる感じ。でもこれは戦時中だからって訳じゃない。日本政府が自分達の土地じゃないって思ってたから。第2次世界大戦後、日本は北海道をソ連に引き渡す条件を呑もうとしてたらしい。日本にとって北海道は手に余るものだったし、機会があれば他に託したいって思ってた。
実際、原住民を国民とはみなさず、戦後台湾から日本に来た人たちを軽視することさえあった。「当時の台湾を見てみたい」ってコメントをする人がたくさんいるけど、その頃の台湾は小さい病院まで車で2時間、大きい病院まで車で3時間かかってた。
夜は国営放送しか放送されず、インターネットの電波も非常に不安定。週に1度は大型ショッピングセンターに行って日用品を買い込む、そんな生活だった。- あの時代ってまだネット無いよね?
- ただこの時代の台湾を直視したくないだけ。今の生活にとても満足してるから。
- 沖縄には今でもこういう所あるよ。
- 日本統治時代に行われた生態調査のデータを見た事があるんだけど、
当時、台湾のいたる所に毒蛇がいて、特に台北の盆地に多いって結果だった。
でも今もしそういう蛇を見かけたら、それは100%誰かが捨てたやつ。- 命がけの調査じゃん
- 昔の人が開拓してくれたおかげで、今の台湾があるんだよね
- 50年前でも台湾は水田だらけだったよ
- 収穫した食糧はすぐに日本へ輸送
- もしチンギス・ハンが編集した地理の教科書があれば見てみたい
- 80年前はまだ工業化が始まってなかったから、あんなに水田が多かったんだと思う。
- やっぱり昔の方が良かったかな。家の近くには素振りの練習が出来る空き地があったし、池もあった。今はもう全部無くなっちゃったけどQQ
- 自然を開拓して都市が出来る。都市が出来ると、そこに人口が集中する。
- 日本統治時代にせっせとお米を植えてたのは、全て戦争に行く兵隊さんのため
- こういう地理の資料も後々は、歴史教科書の題材になるんじゃないかな…
- 農業でここまで大きくなったんだね…

60 件のコメントがあります
台湾って戦前に自動車やインターネットが普及していたのかww
夜は国営放送のみっていうのはTVを想定していると思われる
日帝はやっぱり神だった
釣りなのかマジなのかさっぱり分からん書き込みだよな
単に発展の度合いが違うことを、日本がそれらの地域を軽視していたと言いたいのなら、物事には順序があるだろって話だが
はえーすっごい。
アメリカが戦後に発明したと思ってたけど実は台湾からパクってたのかぁ(棒)
自動車はあの当時ならあっただろうけど、インターネットとTVはまだ無かった
国営放送はラジオの事を指しているのかも知れない
まあ、マジレスするとあのコメントは意味不明すぎてわけわからん
五毛は引き籠りが多いせいか一般常識が欠如してる奴が多いんだよ
『日本政府の政策に注目すれば、重要な物は全部中央に留めているのが分かると思う。原住民(北海道・沖縄・台湾)には、本当に基本的なものだけ施してる感じ。でもこれは戦時中だからって訳じゃない。日本政府が自分達の土地じゃないって思ってたから。』
うそおっしゃい。
ドンだけ、道路や学校、発電所・変電所、空港、基地、港湾、電話局、交番、病院、大学、上水道、灌漑設備…揃えてたと思うのよ。まだ台湾は白糖と米穀の生産があったからまだましでも、それでも生産が軌道に乗るまで日本は頑張ったんで、その遺産をほぼただで手に入れた国民党は無茶苦茶なんだよ。
基本的なものだけというものがどれだけ莫大な投資がいるか理解してからいうべきだわ。
まあまあ落ち着けよ
文章を最後まで読んだか?
シャレで書いてるってわかるだろ❓
ちょっとでも日本を悪く言われたと思った瞬間頭沸騰させて
冷静な判断できなくなるんじゃ危ないぞ⁇
インターネットは洒落か・・・。
台湾も歴史教育は基本的に中華だから、子供が本気で書き込んでるのかなと思ったわ。
冗談で嘘ばかり書いてるとそれをおかしな人に利用されはじめるから怖い
でも見る限り収奪論信じてる人もいるね
>収穫した食糧はすぐに日本へ輸送
お米に関しては朝鮮半島から台湾へも仁川米という現在でいうところの安いブランド米として輸出されていたよ。
台湾は台風被害や水害が多かったから安定した稲作が難しく、全島で広範囲に稲作を行うことで補完していた部分もあるからね。
八田先生見てますか?今日も台湾の方はおいしいお米食べてますよ。
台湾については、植民地政策がやっと軌道に乗り、利益が出始めた。米や砂糖、樟脳、そして阿片などの農作物が出荷できて経済的に潤い始めたんだけど、朝鮮半島は日本側の持ち出し分が多かった。予算を半島に振り向けるために日本の東北地方への手当てが送れて、それが庶民の怒りをかい、貧農出身の兵隊たちが政治腐敗を糾弾するために蜂起して、日本が急速に軍国主義化したんだね。あの半島はまったく日本とは相性が悪い、関わらないほうが得なのだ。
国の発展のためにはまず農業資本が蓄積されないといけない。
蓄積された農業資本が工業資本に投資されて、国が工業国へと発展していく。
この農業資本の蓄積というのが、発展途上国ではなかなかにできない。
利権と結びついたごく一部の特権階級が富を独占して国民資本の蓄積を許さないから。
ゆえに途上国は政府が音頭を取る開発独裁に走って、無茶をするものだから
環境汚染の拡大や貧富の格差の深刻化という事態を招く。
少なくとも台湾は民間資本が成長することができるだけの余剰の分配がしっかりされてたということだな。
これ普通なら国家機密だろ
安い米が本土に入って来るため日本人の農家は苦しい思いをした
だから移出規制をしていた
日本が奪い取ったことにしたいんだろうけど
日本の商社に並ぶ程の台湾人移出商が多数いたのにそれは無理がある
教科書のタイトルは右から読むが
記事では算用数字と一緒にのせているためなのか
左からになってるな
>インターネットの電波も非常に不安定。
さらっと凄い嘘をついてる人の話をまともに聞き過ぎだろ。
ネットが出来たのは1990年だぞw
戦時中にネットが台湾にあったなら台湾1国で世界征服できる軍事技術大国だ
ネタに何笑い付きで返してんの?
当時東北地方にかける資力を台湾に注ぎ、西洋に対して植民地経営が上手く出来るように示す戦略があった。それは功を奏し台湾の所得、生産力は東北は元より本土を超えるものであった。
台韓を優遇しすぎて東北や沖縄から不満が出たって言うね
日本が統治するまで台湾なんて何もなかった
ダムを作って田畑を作り、サトウキビの工場を作って雇用を産み出した
台湾人は勤勉だったのであっという間に黒字に転換し、ある程度豊かな地域になった
朝鮮は怠け者で、いくら投資してもなかなか黒字にならずに苦しんだ
お米は台湾の人のためだよ
そのために治水した
勿論戦時中は物資を軍に取られたろうけど
日本土地分類って書いてあるじゃん
完全に国土、内地だと考えてた証左
47都道府県が本土、台湾朝鮮半島が内地、それ以外は外地
アメリカで例えれば、ハワイは本土、グアムは内地、プエルトリコは外地
ちなみに各社辞書では現在の日本以外を外地としている
そりゃ当時はそうだろう
道産子は今でも本州以南を内地と呼ぶ。琉球人は九州以北を本土と呼ぶ。
どうでもいいけど最近海外の反応サイトで「証左」って単語使ってるのよく見るけど同じ人?
すまんが「証左」はごく普通に使う日本語だと思う
むしろ同じ人だと思う理由が分からない
短波のラジオ放送なら、海外の電波を受信できるから、それをインターネットだと思っているのかな。
中学二年だとしても、あたまおかしい。
インターネットの基礎理論は戦時中の軍用通信で生まれ、パソコンでのネット通信が1960年ごろ、普及したのがパソコンが安価になった1990年頃だから80年前では理論も生まれていないかと・・・
インターネットの基礎理論は冷戦時代の1960年代に核兵器で一部の都市を攻撃されても複数の別の都市を経由する通信網があれば米国内での通信が確保できるという考えから
1960年代にパソコンは無かった
4ビットCPUが誕生したのが1970年代になってから
首都圏は京浜東北線-高崎線沿線の人口密度が高かったんだ。
たしかに、あの辺りは伝統産業・伝統工芸で有名だった。
多摩あたりのベッドタウンとは成り立ちが違うんだね。
台湾ジョークはちょっとよくわからんな
北海道…ここまでとは知らなかった
曾祖母と祖母は戦時中は飛んでくるイナゴを捕まえて空腹を凌いでいた
当時はごくありふれた光景だった
うちの祖母は「一時期マツタケしか食べられなかったので、もうマツタケは食べたくない」と言っていた。
イナゴは普通の食材として戦後も食べていた。
ネットの速度とかwww
さすが壁に蛇口突っ込んでなんで水が出ないのかとのたまってた奴の子孫だわ
何言ってんだこのバカ
知らないのかな
蛇口の話
>日本政府の政策に注目すれば、重要な物は全部中央に留めているのが分かると思う。
日本は朝鮮と台湾の発展に全力で予算くんで取り組んでいたわけだが、そもそもそれ以前にその”中央”すら開発されてこなかった歴史をどう考えるんだ?
てか北海道のことは何を根拠に言ってるわけ? ロシアに対する防波堤として兵力だってかなり割いていたのに、何を持って手放したかったと言ってるんだ?
畑で育ったものは政府に取られるとは言うけれど何もない土地だったんだから分け前が出て開拓されただけ成果だろうに
本当に台湾人のコメントかね?
台湾製糖(総称です6社あったらしい)が出て来ない辺りで台湾人じゃ無いと思われ。
烏山頭ダムが台南市だということも知らない模様。
利用区分で荒地でありながら人口密度が高いのは開墾中。
>北には工場もあるし農地もある。台湾には農地しかない。
>収穫した食糧はすぐに日本へ輸送
>日本統治時代にせっせとお米を植えてたのは、全て戦争に行く兵隊さんのため
少なくとも、この辺は台湾人じゃないと思われ。
米糖相克ってのがありまして、灌漑すると収益性の高いイネに転作してしまって、砂糖黍が栽培されなくなる。
それで砂糖黍の仕入れ価格を米価に連動させるようにしたとか。
米糖相克は日本統治の後も続きますので、台湾人なら知っていそうなものですが。
なぜ台湾製糖が重要か。
日本でも余り知られていませんが、キューバを抜いて一時は世界最大の生産量を誇ったとか。
その設備を引き継いで砂糖の輸出が戦後の台湾経済の一翼を担うことになります。
80年前にクルマで病院に行きWi-Fi利用して大型ショッピングセンターで買い物する台湾さんパねえっすな
これには沖縄県民涙目
昭和10年まで爺ちゃんが居た台東県って、ほんとにド田舎だったんだなぁ。
夜に巡回映画が来たから、村人と山を下って観に行ったとか。
八田與一だけでなく、蓬莱米に生涯を掛けた磯永吉も思い出してあげて。
植物ホルモンのジベレリンの発見と単体分離をしたのも台湾の農事試験場だったな。
あざーっす!
by 山梨県民
そうだよなー、台湾は、第二次大戦後に米国が日本から奪った実質経済植民地で、米国が大陸から遁走した国民党に作らせたプロジェクト国家で、中台間に紛争の火種が燻ってるから高価な武器が沢山売れる国としても知られた存在。
ワシが戦時中初めて買ったpcは、たぶん台湾企業の「大同」のPentiumⅡ搭載のwindows1945マシンだった。
秋葉原の九十九電機で買ったもんじゃわい
寒いね
けっこう好き
さすがASUSやMSIやGIGABYTEのお膝元
当時からインターネットやPCが復旧してたんやなぁ・・・
青森の下北半島が丸ごと「荒地」でワロタ
熱帯特有の泥地とマラリアで当時の日本人は農地開拓に散々苦労して死者まで出ていました。
わたしの遠縁の者は台湾の農業に尽力し台湾に骨を埋めました。
うちの父ちゃんも地図帳見せてくれたことあったわ。南樺太から東南アジアまで日本領で、とても見開きにも収まらなかったよ。
大学の生物の先生が蝶の研究で初めて台湾に行く前に先輩から「台湾は山に入ると3歩に1匹ヘビが出るからな」と言われた。でもそれは嘘だったと言うんだが、「2歩に1匹だったわ」だって。今は減ってるのかな。
香川と岡山が大都会でびっくり。
松山や広島より人口密度あるやないけ!
けっこう好き